ソープ街・吉原の歴史について

現在はソープランドのメッカとして知られる吉原。
その始まりは1617年娼家の経営者が中心となり、きちんとした遊郭を作りたいと
幕府に働きかけたところから。その働きかけに応じた幕府が、売春街をまとめて
荒れ地だった場所に遊郭を作らせた。その翌年、営業を開始し吉原が誕生したという。
不便な場所にあったこともあり、人力車がほぼ最初に導入されたことでも知られている。

吉原は歴史の中で何度か火事などで全焼している。
まずは1657年の明暦の大火。このときは場所の移転が決められており、それが迅速に進んだためすぐに新吉原として改行をしたそうだ。
そして明治の終盤1911年の吉原大火でも全焼するが、年号が大正に入るとすぐに復興。
ただ1923年の関東大震災で全焼。形態が置屋から貸座敷へとシフトチェンジしていた時期でもあった。このとき、多くの遊女が亡くなり震災後すぐに遊女慰霊祭が行われる。
そのときもすぐに復興を果たすが、1945年の東京大空襲でまたしても全焼。

戦争終了後はGHQによって公娼が廃止。1958年の売春防止法の実施により店舗は一斉廃業に追い込まれ、吉原は事実上消滅した。
しかし、そのあとトルコ風呂としてサービスを続けており、1984年には名前を現在のソープランドに変更。
このときはバブル直前で景気の良い時代に突入していたこともあり、当時は250近くの店が軒を連ね、通りには人があふれる位混雑していたそうだ。
その後はソープランドのメッカとしての地位を維持しながらも落ち着きのある現在のような雰囲気になったようだ。

上記のように吉原は昔からある風俗街というだけでなく、東京の下町の歴史とともに歩んできた歴史的な街であることが分かるだろう。
そのため全盛期に比べるとやや陰りが見えてきた街ではあるが、災害・戦争など歴史上の様々なことを乗り越えてきた歴史を感じられる。
浅草の裏手にあるため、周りには新しいビルやマンションなどよりも、古くからある鰻屋といった下町風情にあふれた専門店が多くあるのも特徴だ。また地元の人達からは、昔の花魁の格好で遊女が歩いていた頃の吉原に対しての愛着があり、少し前までは地域のイベントなども開催されていたとのこと。
現在も江戸時代と同じで、浅草など4駅からアクセスができながらも不便で、駅から歩いて行くのには大変な場所にある。

現在は都内に多くの風俗街が登場し、ヘルスやデリヘルなど様々な業態の風俗店ができてきている。しかしながら、日本の各地の風俗街でもこれだけの歴史を持っているところはなかなかないだろう。吉原のソープランドで遊ぶ際は、このようなことも少し考えてみても良いかもしれない。
千葉ソープで遊び尽くす